2013/10/20



【 静けさを聴く。】

常々、死というものを極端にタブー視する世の中の風潮を不思議に感じていました。

どうして、畏れ、遠ざけ、閉ざしてしまうのか。
例外なく誰にも等しく訪れるはずの「死」に対して、
ぼくらも、いつかは向き合わなければなりません。

ぼくはこれまで、自身の入院生活や、
標本製作を通じて動物の死骸や骨を観察したり、
「死」というものに対して様々な形で関わってきました。
そして今また新たに、葬儀という仕事に触れ、
人の死を間近で見つめながら「死」というものへの想いを強めています。

人が死ぬとき、そこには様々な人たちの悲しみや愛情、
たくさんの想いが交錯して、
確かに死というものに対する他者の強い反応が感じられます。
けれども、そこへ横たわる肉体には、
もはや生の痕跡と呼べるようなものはひとつも見当たりません。
限りなく気配が感じられないことは、
かえってその何者かの存在を強め、「なにもない」ということを意識させます。
そこには、確かに「静けさ」が存在します。

実体を捉えられぬ死について考えることは、
見えないものを見ようとし、
触れ得ぬものに触れようとすること。

わたしたちはそこから逃げることなく、確かに対峙しなければなりません。

死に対峙するとき、
ぼくは確かに静けさを聴くのです。